平成25年(2013年)の4月20日(土) 中遠地区某所屋台小屋にて 戻る
・色々な方から色々な情報を頂きまして、某所にて保管 ・枠木の下側は鉄板とボルトでがっちり補強。それにしても枠木が細いですね。
されている「ある」屋台を見にMさんとやって参りました。 一本柱万度型の枠木のようです。
この屋台は一昨年まで菊川市東栄町で曳かれていました。しかし最近の区画整理に伴う住人の移動が激しいため屋台運行が困難になったのですが
解体等は免れ、現在この小屋に保管されているとのことです。
最初に情報を回して下さった菊川Tさん、ありがとうございました。
・その枠木に刻印を発見。 ・静岡縣周智郡○所印と読めます。問題は○の文字。 ・更にその横には「大七以上」「免税」「三二三」と
校?技?役? ありますが、一体何を示しているのかさっぱりです。
・腰板には蒔絵。前方は菊。 ・後方は雲。
・欄間にも蒔絵で雲。残念ながら絵師のサインはありませんでした。 ・下に潜り込んで墨書や刻印を探しましたが、そういったものは何もなく。
輪っか止めには「東栄町」の文字が。
・後方枠木。この部分は継ぎ足してあるようです。茶色のものはバランスをとるための ・後方より中を覗き込んで。
デッドウェイト(鉄の板)と考えられます。
・天井の様子。 ・床にはカーペットが敷いてありました。
・中央の梁にはこの位置にだけホゾ穴が。何かの改造の跡でしょうか。 ・その梁には前方より覗き込んで「後」の墨書。
・振り返って「前」。 ・で、最後尾の梁には「後」。文字と屋台の前後が逆の気がしますが、さて・・・
・中央の梁、両端にはやはりホゾ穴が・・・
・外から見た高欄。これは比較的新しい作りですね。 ・屋根を覗いて。床から天井が5尺くらいですので、立ってちょうどこの目線くらいに
なります。
落慶:森町新町・初代北街社→明治期:掛川・伊達方→昭和戦後:菊川・東栄町と伝わるこの屋台。
高欄、出高覧は明らかに後の時代のものですが、それ以外では時代を明らかに伺わせるものは見つかりませんでした。
ただ枠木にある刻印ですが、県が縣の旧字体で表されていることから「木材」として用いられたのは戦後まもなくか、それ以前ということになります。
しかし静岡県そのものは明治9年以降に周智郡を取り込んでいる(それ以前は浜松県)ため、早くても明治期となります。
このことから
@ 戦中、戦後は物資が足りない時代なので、おそらく明治から大正期に伊達方にて枠木を含め大規模な改修が行われた。
A 屋根、高覧、出高覧はおそらく戦後、東栄町にて設置された。前面の障子は更に新しく(障子枠が樹脂製)昭和後期もしくは平成のもの。
と推測されます。
使用されている木材表面の状況から梁等の基本構造はかなり古いものと考えられますが、では何時の時代のものなのか
そしてこれが本当に森の新町・初代北街社なのかは、残念ながら判りませんでした。
「でも分からないのが、またいいんだよ」というMさんの言葉のとおり、謎が多い方が楽めるというものです。
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