浅羽地区の屋台履歴について                               戻る


 ○浅羽地区における屋台の更新・移動履歴です。
   ・牛車、荷車の改造は長期に渡って曳かれたものを屋台として考えています。
   ・子供屋台は参考までに記載します。
   ・最終改訂 令和2年1月11日

自治会 屋台名
(組織名)
型 式 現 況 先 代
諸井 諸井車 御所車型 2代目(もしくは3代目)
 昭和52年(1977年)製
初代 戦前より所有したが戦時中に供出
   され薪にされたという
諸井車
(中老)
御所車型 初代
 昭和53年(1978年)製
 平成26年(2014年)友永より委譲

 他に子供屋台として4輪の秋桜車を
 運用中

浅羽 浅栄社 一本柱万度型 2代目
 地元大工(江塚・伊藤・白倉)
 平成17年(2005年)製
初代 昭和47年(1972年)製
   平成17年(2005年)長溝
   へ移譲

以前は横須賀地区から借用
昭和38年(1963年)は松原より借用
時和車 一本柱万度型 初代
 地元大工(江塚)
 昭和60年(1985年)製
以前は4輪子供屋台(時和連)
昭和53年には曳いていた記録あり
馬場車 一本柱万度型 2代目
 地元大工(金原)
 昭和47年(1972年)製
 平成21年(2009年)長溝より
 移譲の初代浅栄社
初代
 袋井徳光大工(山本)
 昭和50年代前半製
 昭和62年(1987年)袋井徳光
 より購入
 平成21年(2009年)新堀へ移譲

以前は4輪子供屋台(馬場子供連)
牛車と耕運機のトレーラーを改造
昭和53〜61年運用 その後解体
天王車 一本柱万度型 初代
 地元大工(南沢・杉山)
 昭和63年(1988年)製
以前は天王9班主体の4輪子供屋台
(泰平車)
だし飾りは「日の出に鶴」
昭和54〜62年運用 その後解体
東栄車 一本柱万度型 初代
 明治初期(1870年代)製
 平成元年(1989年)横須賀
 東新町より下台のみを入手
 
その際水切りより上部を新調
 平成23年下台枠木を新調し
 現在東新町時代の部材は
 用いられていない
 

新栄車 一本柱万度型 初代
 昭和15年(1940年)製
 平成18年(2006年)袋井柏木
 より
 
川端組 一本柱万度型 初代
 地元大工(江塚)
 平成28年(2016年)製
川端組は元々仮装行列がメイン
山の手 山栄車 一本柱万度型 2代目
 袋井国本・原雅建築
 平成7年(1995年)製

他に4輪の子供屋台を運用
初代 御所車型
   平成元年頃袋井地区より
   その後は不明
み組 一本柱万度型 2代目
 昭和8年(1933年)製
 平成13年(2001年)横須賀
 大工町より
初代 御所車型
   平成3年頃(1991年)袋井
   今井地区より
   平成13年に榛原町勝俣地区へ

以前は4輪子供屋台(三栄社)
軽自動車シャーシ流用の唐破風屋根
昭和59年〜平成2年運用
浅名 あ組@ 一本柱万度型 2代目
 袋井の大工(藤城)
 昭和53年(1978年)製
初代 昭和52年(1977年)初越へ
   移譲
あ組A 一本柱万度型 中老用
 大正10年(1922年)製
 平成10年(1998年)横須賀
 西新町より
 
豊住 と組 一本柱万度型 2代目(もしくは3代目)
 昭和56年(1981年)製
初代 昭和9年(1934年)に荷車
   を改造
   戦前に馬場を通って境内に入れた
   という話しがある
浅岡 浅圓車 一本柱万度型 2代目 
 平成16年(2004年)製
初代 昭和47(1972)年製
長溝 長栄車 御所車型
(中泉型)
初代
 地元大工
 昭和52年(1977年)製
 
八面社 一本柱万度型 2代目
 平成24年(2012年)製
初代 社暦は100年以上と伝わる
    横須賀東田町の先々代ではと
    言われており、平成23年に
    里帰りした
一色 い組 一本柱万度型 2代目
 大東の大工
 平成元年頃(1989年)製
初代 1970年代中頃より牛車を改造
   して約13年曳く
   御所車型に近い型式

古くは梅山の屋台を借用
富里上 上組車 御殿屋台型
一層唐破風屋根
2代目
 昭和62年頃(1987年)製
初代 昭和49年頃(1974年)に
   地元有志で作製
   昭和61年(1986年)に
   横転・大破

昭和の御大典で花屋台を曳いたのが最初
富里中 富榮車 御殿屋台型
一層唐破風屋根
2代目
 平成6年(1994年)磐田市中泉
 桜ヶ丘より移譲
 昭和51年(1976年)豊田町
 池田より桜ヶ丘へ
初代 昭和49年(1974年)に
   寅薬師御開帳を祝って牛車を
   改造
富里下 龍富車 御所車型 2代目
 平成18年(2006年)鷲津地区
 より
初代 明治35年(1900年)山梨
   入古地区にて製造 その後青木
   町を経て平成4年(1992年)
   購入
新堀   一本柱万度型 初代
 袋井徳光大工(山本)
 昭和50年代前半製
 平成21年(2009年)馬場地区
 より移譲
 平成23年より曳き始め
平成10年(1998年)頃から
毎年大八車を飾って出していた。
梅山 む組 一本柱万度型 代目不詳 
 昭和55年(1980年)製
初代 明治42年(1909年)購入
   当時60円 浅羽町最古の屋台
   大正2年(1914年)20円で
   太鼓購入
 
松原 まぐ美 一本柱万度型 3代目
 平成17年(2005年)新調
初代 昭和58年(1983年)初越へ
2代 昭和58年(1983年)製

昭和の御大典が最初
初越 は組 一本柱万度型 3代目 
 昭和58年(1983年)松原より
 譲渡 ただし源氏車は新調
初代 昭和の御大典がきっかけで一本柱
   万度型屋台を曳くようになった
   昭和23年(1948年)中断
   昭和25年に横須賀地区より借用
   その後暫く屋台は曳かなかった
2代 昭和52年(1977年)に浅名
   より譲渡
   その後不明
西ヶ崎 西ヶ崎 御所車型 3代目
 平成29年(2017年)袋井三川の
 大谷地区より移譲
初代 昭和54年頃(1979年)に
   牛車を改造
2代目
 平成2年(1990年)袋井地区より

湊東 湊東組 御殿屋台型
一層唐破風屋根
3代目 
 平成6年(1994年)製
初代 昭和54年頃(1979年)に
   牛車を改造

2代 平成3年(1991年)西同笠
   より購入
   その後不明
湊中 湊中組 御殿屋台型
一層唐破風屋根
2代目
 平成4年(1992年)製
初代 1980年頃に牛車を改造
湊西 湊西組 御殿屋台型
一層唐破風屋根
2代目
 平成4年(1992年)製
初代 1980年頃に牛車を改造
太郎助 た組 一本柱万度型 2代目
 地元東組の大工
 昭和55年(1980年)製
初代 昭和52年頃(1977年)に
   大須賀今沢から
   昭和55年に初越へと言われるが
   不明
西同笠 に組 一本柱万度型 3代目 
 平成3年(1991年)製
初代 横須賀地区のちいねり
2代 昭和49年(1974年)頃
   東同笠より購入
   平成3年(1991年)湊東へ

昭和43年頃(1968年)にリヤカー
を飾り付けたのが始まり
東同笠 よ組 一本柱万度型 2代目 初代 大東町寺部より昭和46年(19
   71年)から3年借用した後に
   昭和49年購入
   その後西同笠へ
大野 お組 一本柱万度型 3代目
 平成7年(1995年)製
初代 昭和の御大典で製作 後に火事で
   消失
2代 戦後に横須賀の大工が製造
   平成7年磐田市大藤13区へ
   平成22年で引退し現在は保管
中新田 な組 一本柱万度型 2代目
 昭和53年(1978年頃)製作
初代 地元大工の小屋に保管

以前は横須賀から借用


○浅羽地区における廃止・休止した屋台の移動履歴です。

自治会 屋台名
(組織名)
型式 備考 その後
浅羽 十二社 御所車型
(日坂型)
昭和26、27年生まれの浅栄社OB
が主になって曳いた中老屋台
昭和58年頃(1983年)曳き始め
平成4年頃(1992年)に休止
磐田市岩井地区へ譲渡されたと伝わる
浅羽 二羽連 一本柱型子供屋台 2班のスチール製ちいねり
昭和55年前後に地元有志が製作
10年ほど曳いた
「浅羽自治会の二班子供会」という意味の
二羽子供会から名付いた
解体
浅羽 共栄社 4輪子供屋台 町営住宅が主体の4輪子供屋台
だし飾りは「宝船」
昭和53年〜60年まで確認
不明(おそらく解体)
昭和53年〜60年まで確認
浅羽 4班組 御所車型
(掛川型)
昭和55年(1980年)に旧4班
(現6班)が掛川の増田屋さんより
借用して曳いた
近年まで店舗駐車場に置いてあったが
最近撤去された模様
4班組は元々仮装行列がメイン
浅名 大栄車 4輪子供屋台 昭和53年(1978年)製
大庭地区で曵かれていた
唐破風屋根の4輪子供屋台
昭和56年まで確認
不明(おそらく解体)

梅山
む組
一本柱万度型
中老用として小笠地区より移譲と伝わる
平成23年(2011年)限りで休止
平成23年冬に浜松市北区新都田地区
へ移譲